「すべてはモテるためである」二村 ヒトシ(著)を読んだ モテないのはハゲやブサイクじゃなくてキモチ悪いからだった

モテたい。

ああモテたい。

胸をかきむしられるようなこの欲望。「すべてはモテるためである」というタイトルにひかれ、読んでみた。

キモチわるいからモテない

「すべてはモテるためである」

この本を読めばモテるのか。

しかし読み手の希望を著者は切り捨て、追いつめる。ありとあらゆる「モテない」いいわけを、著者は認めない。

執拗に読者の逃げ道をあらかじめ想定し、逃げ道を断つ。

だからあなたはモテない。キモチわるい。なんどもなんどもそうやって、ボコボコにされる。

これ、沸点低い読者はキレて放り出すんじゃない?

と思ってアマゾンのレビューながめたらやっぱりそんな読者もいる。

でも「すべてはモテるためである」というタイトルにひかれ、この本を開いた時点で、読者は著者に敗北してるわけで。

せめて読み終えるまで、著者のサンドバッグになってみるか……

ゲイのA君と話してわかった男のキモチわるさ

モテない男の「キモチわるさ」を、著者はこれでもかとえぐり出して、読み手の眼前に突きつけるのだが、おのれが発する「キモチわるさ」って、なかなか自分ではわからない。

先日「キモチわるい」ってこれなのかも、という気づきがあった。

ゲイのA君。知人の友人。

A君は濃い顔のイケメンで、ひげと爪をきれいに手入れしてて、タイトなシャツとパンツに身をつつみ、クネクネとした身ぶり。絵に描いたようなゲイ。

なんだかキモチわるいな、という先入観があった。

話してみると、A君はとてもおもしろくて、正直、友だちとして親しくなりたいな、とさえ思った。ぜんぜんキモチわるくない。

なぜ?

A君がぼくを性欲の対象としてみていなかったから。

A君がぼくを性欲の対象としてみていたら、それはもうものすごくキモチわるかったはず。

女性が男に感じる「キモチわるい」はこれなんだろう。性愛の対象じゃない相手から、性欲の対象としてみられると、キモチわるい。

ゲイがモテるというのも、ゲイは女性を性の対象としてみないからなんだろうな。

性欲を超越しておのれの世界をつくる

モテるためにはキモチわるさを消し去らなければならない。

そのためには「性欲」の対象として女性をみてはいけない。

でも性欲満たしたいからモテたいわけだよね。性欲って消せるの?

著者はそこまで先回りして答えを用意してくれている。

「あなたの居場所」というのは、チンケな同類がうじゃうじゃ群れてるところじゃなくて「あなたが一人っきりでいても淋しくない場所」っていうことです。

と著者は述べる。性欲を消し去るには、これしかない。

作家の村上龍も、

sexより気持ちいい瞬間をどこかで持つ事が出来るかどうかで男の価値が決まる

とか、あるいは

いつもキラキラしていろ、他人をわかろうとしたり何かしてあげようとしたり他人からわかって貰おうとしたりするな、自分がキラキラと輝いているときが何よりも大切なのだ、それさえわかっていれば美しい女とおいしいビールは向こうからやってくる

とか、おなじようなことを書いている。

多くの女性が、理想的な男性の条件としてあげる「少年のような男」は、少年には性欲がないから。

性欲を超越したなにかが、男には必要だ。

筋トレで性欲を超越しよう

著者が述べる、「一人っきりでも寂しくない場所」としておすすめしたいのが筋トレ。

多くの男性が筋トレをはじめる動機が「モテたい」からだろうし、ぼくもそう。

しかし、そこを乗りこえると、ある時点で「モテたい」という性欲が消え、おのれの身体と真剣にむきあうときがくる。ジム仲間とつるむ時間さえおしくて、ひとりでバーベルをにぎりしめるときがくる。

ベンチプレスで100kgあげれたときは、うれしくてジムでガッツボーズした。

こんなにうれしいこと、オッサンになってからはそうそうない。ベンチプレスで100kgあげたって、モテるわけでもないし、収入が上がるわけでもないが、とにかくうれしい。

それから、ぼくは脚が弱いんだけど「スクワットでこんな重量も上げれないのか」とショックでストレッチエリアで寝転んでたら、スタッフから「死にそうな顔してますけど大丈夫ですか?」と声をかけられたこともあった。

そういうときのぼくは、性欲を忘れて、たしかに少年にかえっている。

今までおつきあいしてきた何人かの女性は、みんな筋トレ関係で出会ったんだけど、筋トレしているときだけは、ぼくはキモチわるくないんだろう。

著者によれば、この「ひとりでも寂しくない場所」は、どこでもいい。アニメとかゲームでもいい。

モテないことから逃避する場所ではなく、本気でそれにうちこめるなら。

こんなキモチわるいテキストを最後まで読んでくれてありがとう……