復讐するは我にあり 彼らより楽しく生きることがただ一つの復讐だ

復讐するは我にあり。

「悪人は神が罰するから自分で復讐しちゃダメよ」という聖書の教え。

しかし、神にまかせておけぬやつもいる!!

だとしたら、どうしよう?

自分で復讐しちゃう?

人間関係は怒ったらすべてがぶちこわし

▲大ヒットした嫌われる勇気。アドラー心理学の本。

アドラー心理学では「共同体」を説く。

他者を仲間とみなし、そこに自分の居場所があると感じることを「共同体感覚」という。

共同体とは、最小単位では「あなたと私」であり、広くは人類、世界中、過去も未来も、動植物も、無生物も対象となる。最後のほうはちょっと意味わかんないが。

共同体に居場所があるかないかは、生きていく上で重要。人間は、いじめなどで居場所が無いと感じてしまえば、自殺さえてしまうから。

他者との関係の構築は、怒らず、粘り強く構築していくしかない。怒ったらだめ。怒りはすべてぶちこわす。

仏僧の小池龍之介氏は、「怒る」とは結局、自分をないがしろにされたことへの反発であり、これをいかに小さくしていくかが、楽しく生きるために大事だという。

もっともなのだが。

相手の人生に思いをはせれば自ずと怒りはおさまる

怒りをおさめるには、相手の人生に思いをはせると効果的だ。

例えば、職場にいやな上司Aさんがいたとして。

Aさん、職場ではいやな人でも、家族を支えるお父さん。

「ただいま」と我が家のドアを開ければ妻や娘が「おかえり!」と笑顔で迎えるような家庭を築いている、かもしれない。

「ママ! わたしの服、お父さんのといっしょに洗わないでっていったのに! もうやだクサい!」

というふうになっている、かもしれない。

そこまで考えるとだいたいは怒りなんて消えている。

マインドフルネス瞑想も効果的。

怒りが湧き起こっても、「あ、オレ今怒っているな」と気づけば、そこで怒りをおさめることができる。

犯罪の被害にあっても怒らず血いられるか

怒りにもさまざま。

政治への怒り。

どこかの犯罪への怒り。

こんなのは怒ってもしかたがなく、テレビ消すのがいちばん。

いやな上司への怒りも、ある程度はコントロールはできる。

でも、どうしても消えぬ怒りもある。

世の中、ほとんどの人はいい人だけど、おのれの利益のために、他者を利用し、けおとし、だますような者も、たまに存在する。

そんな人に蹴落とされ、だまされても怒らないほうがいいのだろうか。

テレビのニュースでやってる犯罪に怒ってもしかたないんだど、自分がその犯罪の被害にあっても、怒らずにいられるだろうか。

消せぬ怒りには「必ず復讐する」と割り切れ

消せない怒りに苦しむなら、いっそのこと復讐をエネルギーとして前に進むほうが、健全ではないか。

復讐といっても、夜道で待ち伏せして後ろから金属バットで殴りかかるとか、そういうことではない。

相手に苦痛を与えることだけが、復讐ではない。

作家の村上龍は「唯一の復讐の方法は、彼らよりも楽しく生きることだと思う」と語っている。

復讐するは我にあり。