「来世は無い」と割り切ったほうが人生楽しくなるんじゃない?

善い行いを積み重ねてるから、来世はイケメンで、金持ちに生まれてくるはず!

友人がそう言った。

来世ってホントにあるのかな?

ぼくは、来世があるとは思っていない。

この命、死んだらおしまい。はいそこまで。

人生に意味などない それでもよりよく生きたい

人生に、本質的な意味はない。「嫌われる勇気」にも、そんな一節がある。

生まれてすぐ死ぬ赤ん坊。テロで命を落とす人々。交通事故で、地震で、津波で、生は差別なく、いきなり絶たれる。

数多くの人生は、さして意味がないまま、閉じる。ぼくの人生もそうかも。

神の視点からすれば、人間も虫けらも同じ。

だとしても、よりよく生きよう、とする姿勢を捨てはしない。よりよく生きようとするほうが楽しいから。

生命は永遠でない 死んだらそこで消滅する

よりよく生きる。善い行いをつみかさねる。

「来世でもっとよい境遇に生まれかわりたい」

という理由で、それをするの?

「来世などない」と断言したら口論となりそうだったので、知人との話題はそこで打ち切ったけど。

「来世」を信じる人は、良い境遇に生まれ変わる、というご褒美がなければ、今の生をよりよく生きることができないのだろうか。

死ねば、それまで。

三途の川もないし、天国も地獄も、転生もない。死んだ瞬間に、ジ・エンド。キリストでもシャカでも、死んだらそれまで。

そう思い定めたほうが、今この瞬間を真剣に生きようという意欲が、湧いてこない?

来世でやりなおしできないんだから。

永劫回帰で永久に同じ生をグルグルする

どれほど善行を積んでも、どれほどの悪行を犯しても、死んだら全部帳消し。

神はいないし、帳尻は合わない。

仮に、百歩ゆずって、「命」というエネルギーが、死んだ後にリサイクルされて、転生して、次の肉体に注ぎこまれ、前世の行いによって、どんな業を背負うか、決定するとしたら。

すると、生まれ落ちた瞬間に、その生は決定されているんじゃない? 今の苦しみって、前世の行いによるものなんだから。

命に終わりがなくて永遠なのだとすれば、前々世の、前々々世の、そのずっと前からの、数え切れない生の業を背負っているはず。

今の生の経験値を来世に持ちこすことはできない。だから、何度生まれ変わろうが、生まれ変わるたびに、同じ業を背負って、ゼロからスタート。これまでも、これからも、今世と同じ業を背負い、同じ生がくり返される。

ニーチェがの「永劫回帰」ってやつ?

恐ろしい。あまりに恐ろしいから、ぼくは「来世がある」という思想を捨てることにした。

しめ切りがあるから全力でケリをつけることができる

仕事にはしめ切りがある。しめ切りがない仕事って、先延ばしにして消えていくタスクみたいなものじゃない?

人生もそう。「死」をしめ切りとするかどうかで、景色が違ってくる。しめ切りまでに、すべてのケリをつけようとすれば、生き方は変わってくる。

当然、そのしめ切りはいつ来るかわからない。それがいちばん怖い。ひとまずは平均寿命であたりをつけて、タスクを管理して、「これだけやれば今日はやり切った」という毎日を送るのが最善ではないか。