「食べる」とは他者を「殺す」こと 食べものを捨て続ける現場を20年歩いて思うこと

2015年8月5日に株式会社を設立した。

会社の名は、株式会社良山という。

廃棄物にかかわるソリューションを、企業に提案することを業務としている。

  • 廃棄物の処理コスト削減
  • 廃棄物のリサイクル率アップ
  • 廃棄物にかかわるコンプライアンス支援

が、具体的な仕事となる。

ぼくは大学を出てから、ずっと廃棄物、つまりごみに関する仕事を続けてきた。

もう20年以上も、ごみの世界で生きてきた。

最初の10年は出版社でごみの業界の専門新聞の記者をして、あとの10年は廃棄物の管理を業務とする会社で営業マンをして、ごみの現場にかかわり続けてきた。

莫大な量の食べものを毎日毎日捨てている

ごみ、と一口に言っても、それはもういろいろなごみがある。生活にいちばん身近なごみは、生ごみか。

食品製造業の工場から出てくる生ごみは、家庭から出る生ごみとは規模が違う。

それはもう、大量に出る。

「捨てるために作ってんの?」というぐらい出る。

この生ごみに、困っている企業は多い。

ごみの法律である「廃棄物処理法」では、食品製造工場から出てくる生ごみを「動植物性残さ」と呼ぶ。

ごみの現場を歩いていると、莫大な量の「動植物性残さ」が廃棄されていることにおどろく。

野菜の皮や、卵のからなど、食べられない生ごみが廃棄されるのはしかたない。

しかし、食べられるものまで、それはもうものすごい量の動植物性残さが、毎日毎日、捨てられ続けている。

たとえば、作りすぎた恵方巻きの廃棄が今年もニュースとなった。あれは出荷後の売れ残りで、出荷する前にも廃棄はしているはず。

なぜ、捨てるのか。食品製造業も、捨てたくて捨てているわけではない。

消費者の利便性のために捨て続けるシステム

需要に見合うだけの様々な食品を、消費者が要望するタイミングで、安全に、過不足なく届ける、というシステムを維持するためには、ある程度は捨てざるをえない。

たとえば、一年中いつでも、コンビニに行けば食べものが手に入る。生鮮食品が、24時間いつでも手に入る、というのは実はすごいことだ。食品産業は、それを実現するために発展してきた、といっても過言ではない。

仕事が忙しくて昼休みがちょっと遅れたらコンビニの棚になにもない、ということはよくある。

これを防ぐために、需要より少しだけ多めに作って、あまれば廃棄するというのが現在のシステム。足りずに消費者に不便をかけないために、できるだけ適量を作る。

廃棄する量は、できるだけ少ないほうがいいが、なかなか計算どおりにはいかず、けっこうな量を捨てることになる。

そのへんの歪みが、過去にあった食品の賞味期限偽装とか、ダイコー事案とかにあらわれてくる。

リサイクルでせめてもの罪滅ぼしを

それにしても、日本は食べものを捨てすぎ。

ぼくは神仏などは信じないたちだが、それでも、

これだけの食べものを捨て続けていたら、そのうち天罰が下るんじゃないか

と恐怖するほど、捨てている。

だから、捨てられて、焼却されて灰になるしかなかった動植物性残さを、なんとかリサイクルできたときは、とてもうれしい。

食べものは、動植物を殺すことで得る。

わざわざ殺しておいて、捨ててしまうというのは、なんともやりきれない。

仕事がら、養豚場へたまに行くんだけど、豚たちを見ていると、かれらの命をいただいている、ということに罪を感じる。

▲生まれたばかりの子豚。豚の飼育は6ヶ月程度。この子豚も半年で肉に

▲豚はかわいい。種付け用の雄豚はかなり怖い

かれらは食べられるために生まれ、育てられてる。生きている豚を目の前にすると、複雑な心境になる。

豚にかぎらず、穀物も野菜も、あらゆる食べものは、他者の命をいただくことで、得ている。

だから、殺したら、感謝しつつ、むだなく食べたい。

しかたなく余った食べものは、焼却して灰にするのではなく、せめてリサイクルしたい。

特に、ぼくは身体が大きいし、筋トレが趣味で肉を多く食べるので、この仕事がせめてもの罪滅ぼしになるかな、と思わないでもない。

▲豚肉や牛肉はどこからくるのか?

屠殺場ではなにが行われているのか?

子ども向けですぐに読める本だが、大人こそ読みたい。

読めば、食べものを残さない人になれる。